不登校デブが3か月で24kgダイエットに成功

ダイエットに挑戦しようとしたことってあるよね?
そりゃあ、色んなタイミングで痩せたい!ってことを思うだろう。

今回たまたま、17歳の不登校が3か月で24kgダイエットに成功した話があるのでしたいと思う。

高校入って、デブデビュー!不登校で88キロに

高校入って、デブデビューした。最終、不登校になり、体重88kgに。

 

中学の頃のぽっちゃり系だったんだけど、高校でデブへの才能が開花。

高校1年の学生証と高校2年の修学旅行の写真2枚をご覧あれ!

 

 

 

 

 

改めて、ヒドイ。(なんでこんな体張ってるんだろう・・)
写真燃やしたいもん。

 

ちなみにMaxに太ってた写真はない。
自分の太った体を写す、カメラが大嫌いだったからだ!!

じゃあ、痩せろよってね。うん。

 

 

当時、僕の通う高校は進学校で勉強漬け。@帰宅部
そりゃあ、ストレスたまるっしょ。


ストレスの腹いせに帰りのコンビニで
1000円分ジュース・お菓子・パンを買って家でむさぼり食う。
これが僕の習慣。

 

そう、絶対にやっちゃいけないこと。けど、最高に快感
そしたら、お腹も期待に応えてパンパンに。

 

確実にミートテック(ヒートテックみたいで御免!)を成長させた。
めっちゃ僕のお腹と二重あごプルプルしてたよ。

そして、不登校になる。根暗な不登校生徒へと進化いや、退化した。

 


体重は
88kgで、体はデブ爆発寸前。
もうどうしようもないポンコツ野郎になっていた。

ギャグで笑い飛ばせたら良かったんだけど、もうそんな状態じゃなかった。
余裕も、自信も何一つ崩壊していた。
心をふさぎ込むコンプレックスマン(究極完全体)になっていた・・

 

 

入院して赤っ恥。ダイエットを決意

入院してしまうエピソードがある。

 

 

35月のGW明け。急に40℃超えの高熱が。
何を飲んでも食べても全部お尻から爆発してトイレに走り込んだ。

 

全く熱が下がらず、次の日の朝、病院へ。

診察を受けるなり「こりゃあ、入院ですねえ(⌒∇⌒)」と言われ、全然笑えなかった。

 

まさか、診察5分で入院するとは思わなかった。

ノロウイルスの可能性が高いと言われ、隔離状態。
そこから、長い長い地獄への道のりが始まった。

 

 

まず、高熱+飲食ができないので、1日中寝たきり点滴。
それも、何回も点滴を取り替える。
その際、僕は魔人ブウみたいな体系だったので脂肪
100%☆

 

血管がデブ過ぎてどこか分からず、点滴の針が刺せなかった。
失敗して腕中あざだらけになった。

もうしんどくて、泣きたかった。

看護師さんは、僕に気を遣って「アハハハハ・・」と愛想笑いかましながら、僕の腕に容赦なく針をプスプス刺した。

 

けれど、血管から離れた所に刺すもんだから、腕の皮膚が風船みたいにに膨れ上がる。

表現こそ、ポップだけど、腕の皮膚は紫色になる。痛さは想像を絶するほどだ。

 

「痛い痛い痛い!痛いです!!」と大声で訴えると、看護師さんは申し訳なさそうに

「ごめんね、痛いよねえ・・( ノД`)
けどあなたの腕、どこに血管があるか分からないの(´・ω・`)」

 

とおっしゃってた。
いや、そう抜かしてた。

 

100対0で、太ってる僕が悪いんだけど

 

 死にたくなるほど、傷ついた。

 

点滴のやり直しをする度に、メンタルを包丁で削ぎ落される感覚だった。

それはもう、“恥”という言葉そのもの。見るに耐えない状況。

 

今は、完全にすべらない話で僕の引き出しなんだけど。
当時の僕にとっては、心はぐっちゃぐちゃだった。

 

でまあ、残酷な点滴まみれの生活を3日耐え抜き身も心もズタズタの中、高熱も下がり下痢も止まってきた。

 

食事無しの点滴だけで1日うん○40回くらい放出してたもんだから、最後の方は、青のりの粉みたいなモノになってた。

 

生きてきて初めて見た青のりの粉は、“可愛い”と愛着が沸いた。
(無臭だったからだけど発想がアウト)

そしてついに病院食を食べれるまで回復し、夕方の食事を終え、日付は土曜の夜9時半過ぎ。
ベッドでボケーっとテレビを見てた。

 

そこには、「嵐にしやがれ」という番組が。

 

どうやら時間マラソンのランナーを発表するらしい。そこで発表されたのは、お笑い芸人の森三中の大島だった。

 

(おいおい、こんなデブな人が100キロ走れるのか?ネタだろプッ)
と思いながら、見ていた僕に悲劇は続く。

 

体重計に乗った、大島の体重はなんと88キロ
そう、当時の僕と全く同じ体重!!

 

 

「あぁ・・・痩せよう」そう無意識に哀愁漂わせ思っていた。
多分その時、人生で1番悟りを開いていたと思う。

 

だって、テレビで見て「太いなあ、ゲラゲラ」と笑っていた人が、僕と同じ体重やもん。


テメーが笑っている場合かよと冷静に思っていた。

 


もう退院したら、すぐにでもダイエットして激やせしてやろうと自然に決心していた。
※勘違いしてほしくないので一応補足。森三中の大島は、嫌いじゃなくてむしろ好きだからね。ただ、体系の話。

 

 

ダイエット法を模索

どんなダイエットしようかしら?とダイエット法を模索する。

 

退院して、ストレス性胃腸炎で点滴生活をしたおかげで−4キロ痩せた。
しかし、底つかない食欲は、再び戻ってきてすぐに前の体重に。
しかし、なぜか落ち着いていた。

 

「今から、痩せるんだ」そう強く決心していた。なんかカッコいいね。

 

深夜のテレビショッピングでやってたDHCのプロテインダイエットをしようと僕は決めていた。
なぜなら、それ以外のダイエットを知らなかったから(笑)

昔も今も変わらずお猿のチンパン。

 

しかし、DHCのプロテインダイエットが高いことは、お猿の僕にも理解できた。

 

何か代理になる安いものはないかと思い、アマゾンで漁ってたどり着いたのが”明治プロテインダイエット”だったんです!。この出会いで人生が変わりました。お電話番号0120-×××
↑(テレビショッピングの宣伝じゃないYO)

 

 

気を取り直して、明治プロテインダイエットの当時の値段は、1か月分で3000円以下。
30食入りだったから、1食100円以下。コスパ安すぎ!

 

これなら、手を出せる!
と一切の迷いもなく購入した。とにかく決心が揺るがなかった。そりゃあそうか。

 

  1. デブ過ぎて血管が分からず、点滴の針が刺せない
  2. 今までテレビで太いなあと思っていた、森山中の大島と体重が同じ

 

そんな残酷な事実を知れば、嫌でも痩せたくなる。

 

そこに、+して僕にはどうしても外せない理由が。それは・・

 

 

 

 

“変わりたい”

たったそれだけのシンプルな理由。

 

そして、当時不登校だったので、“何かに打ち込んでいる”という「ただの不登校じゃねえんだぞ!」と証明したかったんだと思う。誰に?と聞かれると、誰にだ(笑)と今になって思う。

 

目には見えない「僕に対して批判してくる人たち」のことだろう、戦ってたんだね。

 

 

過酷過ぎるプロテインダイエット開始!!

プロテインが届き次第、さっそく開始。
時期にして、
520日あたりの実に退院して1週間。

 

当時デブだった僕は、走りたいけどすぐにバテてしまうわがままボディ。
走れないのは、分かっていた。

 

そこで、世界一受けたい授業という番組で、ある情報が。

「スロージョギング」という方法だ。

やり方はそのまんまで、歩くスピードでゆっくり走るという内容。「これなら僕にもできるやん!」と思いさっそく実践した。

最初に取り組んだことは

  • 3食のうち、1食をプロテイン+おかず1
  • 愛用していたお菓子、ジュース、揚げ物、肉類を一切やめる
  • 1日外で20分スロージョギング

 3つ。ちなみに、1か月で8kg痩せてテンションは加速。

それが段々と慣れ始め、当たり前にこなせるようになると(1か月後

  • 家の中で好きなテレビを見ながら1時間、外で1時間=合計スロージョギング2時間
  • 3食のうち1食プロテインのみ、他の食事量も極端に減らす
  • ジュース、お菓子、揚げ物、肉類やめて豆腐、こんにゃく、キノコを愛用

 

に進化していた。外でのスロージョギングは、もう普通のジョギング。
すごい速さでビュンビュン。スタミナがついていたからだ。

 

メニューを見ると、もうホント超ストイック。ヤバいよね。
痩せたい気持ちはどんどん強くなり、3か月間サボった日は1日たりともない狂気ぶり。

 

88kgあった体重は64kgに。3か月ポッキリで―24kgのダイエットに成功。

 

ここでbefore、afterを投下ドーン!

まだ、太ってた名残があってそんなに痩せたように見えないかもしれない。
ただ、24kg痩せてるし、表情にも明るさが!!

 

 

そして次に、その約半年後の写真を見ていただこう。

めちゃ細い!
体が安定した。ただ、細すぎだなこりゃ。

 

 

今こうやって、やっていたメニューを見ると、ただただ怖い笑
当時の僕にとっては、相当に動機が強かったんだなあと思う。

 

で、痩せたことは良かった。だけど、この無茶に無茶を重ねたダイエットが習慣になってしまってせいでやめられなくなった。ダイエット生活をやめることに1番苦労した。

 

 

前の食生活に戻ると、「また前の体系に戻ってしまうじゃないか?」という恐怖と戦うハメになった。徐々に直していけたんだけど、ホントに時間がかかった。ある種の、病気に近いと思う。

 

そして、短期間で手に入れたスマートボディには、代償として不幸なアンハッピーセットがついてきた。そう、マジでいらないモノ。

短期間ダイエットの代償に椎間板ヘルニア(腰痛)に

そう、ヘルニアっていう腰の病気になっちゃう。アホなエピソード。

 

 

痩せたスマートボディの僕は、川釣りをしていた。その最中、急に腰に痛みが。すぐさま病院へ。

 

すると、「何か無茶な減量をしたことはありませんか?」
と整形外科の医者に言われた。

(アホだな)と、僕はなった。心当たりアリアリだ。

「あります」と最近のダイエットを詳細に伝えると

 

 

「3か月で24kgはすごいな~。けどね、そんな短期間で一気に痩せちゃうと脂肪と一緒に筋力も減るんだよ。今のキミのようにね。」医者は続ける。「腰が痛い原因は、椎間板ヘルニアってゆうものだよ」と言われた。

 

 

そこから、徐々に腰の痛みは悪化。座るときはコルセットを巻いていないと座れなくなった。
それも30分くらいが限界。常に、ソファーで寝っ転がって過ごす生活になってしまった。

 

その後、約7か月椎間板ヘルニアの腰の痛みと戦った。本当に長かった。

 

 

ヘルニアとの想定外の結末

長い腰痛のヘルニアと想定外の結末を迎える。

 

 

ある日、高校の同級生たちに遊びに誘われた。「卒業前にパーッと遊ぼうぜえ!」と。
僕は、学校も行ってないのに誘ってくれて、とても嬉しかった。

 

汽車に揺られ大都会、徳島県の徳島駅に向かった。←めっちゃド田舎ッス。

 

そして、ROUND1に行ってボーリングをした。
そりゃあ、もう超楽しかった。ボーリングを15ゲームくらいした。

※1ゲーム10回。全部のピンを倒さないと2回投げないといけない。つまり大体、120回以下は、重いボールを放り投げる。つまり最低、150回は僕は投げていたことになる。

 

まあ、さすがにバテた。そりゃ、バテて当然。

 

(腰もちょうど痛いなあううう・・)

 

(ああ、そろそろ潮時だな)と。

 

 

しかし、僕の仲の良い友達は野球部。
残念ながら、スタミナに上限はない。
友達は「まだまだこれからだぞぅ~☆」と理解できない言葉を発している。

 

 

「化け物かな☆」と思いながら、付き合うかあ、と、ボールを持った瞬間!

 

 

 

 

 

腰から全体へ電気のようなモノがピリッと走った。


そこから、僕の腰が絶頂を迎えてしまい、ボーリングは中断。

「帰る汽車の時間に遅れてしまう!」と皆で走って駅に走る。
僕は、友達に肩を担いでもらいないながら駅へ向かった。(何やってんだ、こりゃ・・)

 

その後、順調に腰は悪化。腰に痛い痛い注射をうっても「効果はいまひとつだ・・」状態。

 

 

フム、手術した方良いですな」と医者に言われた。

!?

 

死ぬほど嫌だった。

 

けれど、当時童貞の僕は、(いつかHできないじゃないんだろうか)というおバカな恐怖を抱え妄想モードが炸裂。
受ける決心をした。

 

腰の痛みで爆発するくらいなら受けた方がマシだから。

そうして、ROUND1のボーリングが原因で腰を悪化させ手術をするハメになった僕は。

ROUND1のとなりの病院で悲鳴を上げながら手術をする。

という素晴らしいオチがあったところで、本当の意味でのダイエット生活は終了した。

(もうホント、あほ過ぎる)

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